雑文

思いついたことを

バイク事故をやった話(19才)

当時、僕は無免許だったのだが、浪人時代に僕はよく親のバイクに乗っていた。親に見つかったら怒られるので、主に親が家業の牛乳配達をしている深夜にあちこち乗り回していた。

ある日の深夜、朝の牛乳配達に出掛けてから僕はいつものようにバイクを出した。その時、ヘルメットをかぶるかどうか数分迷った末に結局かぶることにした。当時はまだヘルメット着用が義務ではなかったが、ノーヘルだと警官に止められて注意されるという話を思い出したのだ。警官に止められたら無免許の僕は一発アウトだ。

いつものように海沿いの道を80ccで60キロくらいで飛ばして爽快感を味わった後、パトカーを避けるように裏道に入って家に帰ろうとしていた。恐らく睡眠不足と運転の疲れがあったのだろう、一瞬、バイクに乗りながら寝てしまった。

そして気づいたときには僕は救急車に乗っていて、何が起きたのだと訊くと車と事故を起こしたのだと言われた。

後から聞くと、ヘルメットの後頭部がアスファルトに叩きつけられてえぐれ、バイクの足を乗せる部分はぐにゃりと曲がっていたらしい。

結局、僕は頭を強打したもののヘルメットのおかげで大きな怪我も後遺症もなく済んだ。ヘルメットをかぶってなかったら死んでいたはずである。

偶然、父は牛乳配達中に僕が乗っている救急車が通るのをやり過ごしていた。当然、自分の息子がその救急車に乗っているとは思いもしなかった。

結局、僕は運ばれた先の病院で様子見のために2泊した。

車椅子で病院内を移動していると、あっという間に4,5人のおじさんたちに囲まれて、事故のことを根掘り葉掘り訊かれた。なんで無免で乗ったんだ?と訊かれたので、受験が嫌でストレスがたまってと答えると、お前は受験できるだけ恵まれてる、俺は金がないから大学に行けなかったと言われ、さすがに返す言葉もなかった。

20代前半の若い男の入院患者は皆バイク事故だった。車椅子をウイリーさせて廊下で遊んでいた。中には頭を強打して意識が戻らず、母親がつきっきりの人もいた。

家族は母親が最初に来て、僕が「ごめん」と謝ると、「なんだちゃんと話せるの?」とヘナヘナと座り込みそうになった。

僕が最も恐れていた父は意外にも「大した怪我じゃなくてよかったな」とだけ言った。それで10分くらいいてすぐに帰った。僕が病院に運ばれたときに看護婦さんに「父親に殺される殺される殺される」とうわ言のように言っていたから、お父さん怒らないでやってくださいと言われたのだと後から聞いた。

当時、僕は親の気持ちをまったくわかってなかった。それが若者であるということであるけれど、両親には今でも申し訳ないと思う。