雑文

思いついたことを

老成した少年

数年前にテレビを観ていた。それは貧困問題をテーマとしたもので、特に十代の少年少女が貧困家庭の中でどういう問題に直面しているかというものだった。両親が離婚してシングルマザーに育てられ、父親からは養育費がまともに支払われていなかったり、親の虐待に苦しんでいる子どもたちがたくさんいる、というような内容だったと思う。

その中で僕が今でもよく覚えているのが、「どうか親御さんには子どもたちに現実の苦しい想いを話さないで欲しい。親の生々しい苦悩を知らされると、子どもは生活苦を背負ってしまい、少年時代を少年少女として生きられてなくなってしまう」という識者の言葉である。

その時、僕が思い出したのが、僕が中学2年生のときに父が脳血管の病気で倒れて病院に入院したことだ。その7年くらい前に父は大きな脳血管の手術をして無事、回復していた。その後、不摂生がたたったのか、再び病状が悪化したらしかった。

当時、僕は野球部に入っておりレギュラーが取れるかもと期待が膨らみ、クラスでもうまくいっていて、毎日が楽しい日々だった。それがある日、突然、父の入院で断ち切られてしまった感じがした。舞台が暗転したような感覚だった。

それからは7年前と同じように母の姉が地方から出てきて一緒に住んで家業の牛乳配達を手伝ってくれた。僕は兄と二人で早朝に自転車で牛乳配達をした。学校に行く前に牛乳配達をすること自体は大したことではなかったが、それでも多少なりとも肉体的に疲労はするし、父が倒れてこの先が見通せなくなったことがショックだった。友達にはこのことは誰にも言えなかった。同情されるのが嫌だった。

それから数ヶ月して父は病院から退院し、徐々に元の生活に戻っていった。しかし、その後の生活も父の頭には爆弾があるようなもので、いつまた爆発するかもしれない、という事実は僕たち家族には重い現実だった。

それまで僕はクラスの中で軽口を叩く明るい性格だったのが、無口で物思いに沈むことが多くなった。先生からは急に性格が変わったので「どうかしたのか、何かあったのか」と何回も訊かれた。それから僕は現在に至るまでもずっと「物凄く落ち着いている」と友人たちから言われるようになった。そう言われても自分でもその理由がよくわからなかった。

しかし、貧困問題のテレビ番組で識者から「少年時代を少年少女として生きられてなくなってしまう」という言葉を聞いたとき、もしかしたら僕はあの中2のときから少年として生きられなくなったのではないかと思った。それはまさしく僕自身のことだったのではないか?と。

その後、僕は無事に高校、大学へと進学することができたし、父の病気で父を恨んだわけでもない。しかし、あのことをきっかけに僕が子どもながら生活の苦悩を背負ったのは間違いない。言うなれば僕は老成した少年だったのだろう。

もちろん、僕は子どもらしく生きた方が良かったのだろう。でも、それが人生において特に障害になったわけでもない。ただ、どうして僕はこれほど早い時期に落ち着いた人間になったのか理由がわかって、長年欠けていたパズルのピースが埋まったような気持ちである。