雑文

思いついたことを

【恋愛】人生において愛し、愛されることについて

最近、鴻上尚史の人生相談コーナーをネットでみつけた。その中で「容姿が悪く、交際経験が一度もない」47歳女性に鴻上尚史が本音で応える」という一本があった。
簡単に内容を紹介すると、47才女性は容姿にあまり恵まれず、これまで何回もいわゆる告白をしてきたが、交際することはなかった。人生で一度でいいから、男性と愛し愛されてみたい。でも、これ以上は無駄かもしれない。どうしたらいいだろうか、というもの。

僕は彼女の気持ちがものすごくよく分かる。とても馬鹿にするようなことはできない。僕も若い頃、好きな女の子がたくさんいて、誰かと付き合いたいと強く願った。でも、内気で自分に自信がない僕はあまり告白などできなかった。時代は恋愛至上主義のバブルで交際経験がない者はみじめでからかわれる存在だった。

大学生活も終わりの頃、僕は何歳か下の女の子と出会った。場所は大学キャンパスだったので確かサークル関係のつながりだったような気がする。それで僕は「何かイベントがあったら連絡しますよ」ということで彼女の電話番号を訊いた。

それから一週間くらいして僕は彼女のところに電話すると、彼女は僕の連絡にすごく喜んでくれて話がはずんで3時間くらい話した。それから一ヶ月くらいは毎日のように電話をした。キャンパスで待ち合わせてデートもした。

結局は数ヶ月で関係は終わったのだが、その間、お互いのアパートを行き来して泊まった。念願だったセックスもして童貞を卒業した。

あれから30年近く経った。今でもときどき彼女のことを思い出す。

好きになった女の子から生まれて初めて受け入れてもらった感激。ただ一緒にいることで、僕が電話することで彼女が喜んでくれる幸福感。他人からしたら気持ち悪いだろうから事例を出すのは一つだけにするが、僕が彼女のアパートに泊まって、朝、僕だけが出かけるとき、僕はチュっと軽く彼女の唇にキスをした。そのとき彼女が「キャっ」と言って顔を赤くしたのだ。僕は幸福感とともに、自分のようなブサイクでダサい男とキスしただけで喜んで?もらえることに強い戸惑いも感じた。俺ってそんなイイ男なの?と。

あれから長い年月が経ち、何人かの女性とも交際したが、僕は今でもあの彼女との思い出をスルメを噛むように反芻してしまう。無意識のうちに思い出を美化している部分もあるだろう。でも、彼女との思い出は僕にとって最も大事なものである。

人を愛し、相手からも愛される経験は人生に意味と自信を与えてくれる。もしも、僕が彼女と出会わず、その後も誰からも愛されなかったとしたら、どれだけ生きることがつらく虚しいものだったろう。

もしも僕が相談者の47才女性に回答するとしたら、諦めずに素敵な男性を見つけてください、と言いたい。