雑文

思いついたことを

老人施設に入居中の母を訪問

去年の夏から母はグループホームに入居している。認知症になっていることがわかってから4年くらいだろうか。徐々に母の病気は悪化していって、ついには同居している妹の手に負えなくなってきたので、グループホームに入ってもらうことになった。

「もうお母さんの面倒を見れなくなったんだね? 施設に入るのが一番いいんだね」と母に言われたが、僕には返す言葉がなかった。本当だったら自宅にいて孫の顔が見られる生活を送って欲しい。しかし実家を離れた僕が母の世話をできるわけではないので、この件については妹の判断を尊重するしかなかった。

これまで母の面会には4回くらい行っただろうか。今年の3月まではグループホーム側も家族の訪問には消極的で面会といっても建物の玄関で15分くらいという制限があった。それが今年の3月に政府の判断でコロナ対策が大幅に緩和されたため、最近は母の部屋にまで入れるようになった。

現在の母は今が何年何月何日なのかわからない。自分がどこにいるのかもわからない。しかし感情面はしっかりしていて誰がどうしたとかいう世間話やあのときは大変だったという思い出話はできる。

前回の訪問時、女性職員3人(60代くらい)の横を通ったときに母が「いつもお母さんが世話になっている人たちだよ」と言うので、「お世話になります。(母は)わがままなこと言いませんか?」と訊くと、「まぁ、みんなわがままだから(笑)」と答え、母も一緒に笑っていた。

今回も近くのコンビニで買ったシュークリームを土産に母の部屋に90分くらい滞在した。毎週、電話をして様子を伺っているので今更特に話すことはないのだが、母としてはリアルに子どもの顔を見れるのは何よりも嬉しいことのようだ。

「お母さんはいつまでここにいるのかねぇ」と今回も母は言った。もう死ぬまでここから出られない、少なくとももう自宅には戻れないとはとても言えなかった。

グループホームの見舞いには僕しか行かない。妹も孫たちも一度も行っていない。会っても話すことがないそうだ。介護でつらい思いをした妹は母の写真すら見たがらない。孫たちはばあちゃんに関心がない。

正直なところ、特に孫たちに苛つくことはある。こいつら白状な奴らだなと。しかし面会を強要することもできない。

「元気? 体の調子はどう?」と僕が質問すると「元気だよー。ただ生きてるだけだよ。もういつ死んでもいいよ」といつもと同じように母は答える。母は寂しくて家族にかまって欲しいのだ。

息子として僕もそういう言葉を聞くのはつらいが、僕も50代になり多数の友人知人を亡くしてきたので、そういう寂しさは人生ではある程度は避けられないものと思う。認知症になるまでは健康に暮らし、70歳過ぎまで自営業をやってこれた母は幸運な人生だったと思う。晩年は家族との関係がうまくいかず、寂しい思いをさせてしまったが、それもやむを得ないのかもしれない。

「次はいつ来る?」と帰り際に母は僕に聞いた。「来月にまた来るよ」と答えると彼女は嬉しそうに笑った。12月といっても母にはわからないが、来月という言葉は理解できるのだ。