雑文

思いついたことを

帰省できなくなった話

先日、郵便局にゆうパックを出しにいった。そこの窓口で職員の人から梅干しのサンプルをいただいた。どうやら最近は郵便局でもいろいろな食物を販売しているらしい。

そういえば僕はこの何年も梅干しを食べていないのを思い出した。甘いものが多いスーパーの梅干しは食べれたものではないので、僕にとって梅干しとは帰省した折に母親が分けてくれるなのだが、ここしばらくは母親が漬けていないのだ。

そういえば毎年、正月に帰省した折にもらっていた餅もここ数年食べていない。母親が認知症になってもう作れなくなってしまった。

母が認知症とわかって3年弱。数ヶ月前から母はグループホームに入っている。当初は実家を出て施設に入れてしまうことに罪悪感を感じていた。しかし、ときおり電話で話す感じでは職員の人が母に気をつかって声を掛けてくれているようで、おもったよりも母の声はいつも明るい。それほど居心地は悪いようではなく、むしろ同居していた弟と会話がほぼなかったことを考えると、グループホームにいる今の方が会話が多いと思う。

今後、母は施設から出ることはなく、このまま施設で亡くなることになるだろう。そうすると、都会に住んでいる僕はもう「帰省」をすることができない。母が実家から施設にいくとき、数キロ離れた家に住む兄が「もうこの家にくることないかもしれない」と言ったのだが、それは僕も同じだった。

僕が19才まで住んでいた実家は今も存在する。(建て直しはした。)でも、そこに迎えてくれる母がいなければ僕は帰省することはできない。実家に住む妹家族と特に折り合いが悪いというわけでないものの特に歓迎はされないであろうから、そこはもう僕が帰るところではない気がする。

母は認知症ながら世間話は特に問題なくできるので、僕は施設に会いにいくだろう。しかし、それもあと何年かのことである。母が亡くなれば、僕は田舎に帰る理由がほとんど無くなる。帰省するたびに家の近所の道を散歩するのが大好きだった僕はどうするのだろう。自分でもわからない。

母が元気なうちから、こういう日が来るのはわかっていた。すべてのことには終わりがあるのだ。

いずれ僕も死ぬことになる。ここ何年か同年代の友人知人が続けて亡くなっているので、そのことを考えざるをえない。そのとき子どもがいない僕の持ち物は大半がゴミになる。僕が長年保存している日記や写真は残念ながら残された人々には意味を持たない。よほどの有名人でもなければ誰だっておなじことだ。

でも、それでいい。僕が生きている間だけ、僕にとって意味のあるものが存在してくれたらそれで問題はない。それでいいのだ!