雑文

思いついたことを

行きたいところが無いという話

僕は子どもの頃、旅番組を見るのが好きだった。「兼高かおる世界の旅」なんかを観ていた記憶がある。子どものころは、大人になったら世界中を旅するのだと決めていた。せっかく生まれてきたのに、外国を見て回ることなく死んでしまうなんて耐えられないと思っていた。

その後、大学3年生になったとき、僕はアルバイトをしてお金を貯めて初めて外国旅行に行った。いわゆるバックパッカーだ。行き先は主に東ヨーロッパ。当時は東欧革命が起きていたので、現地で何が起きているのか自分の目で見たかった。

その年の夏には韓国。翌年は中米のメキシコ、グアテマラエルサルバドル。その後はタイ、インド、イラン、トルコ、シリア、ヨルダンなど。

初めての外国旅行はものすごく刺激的だった。外国にいるというだけで興奮して、地上から15センチくらい浮いて歩いているような感覚だった。3回めくらいまでそんな感じだっただと思う。しかし4回めのイランからスペインまでの旅行になると、それまでの感激は薄れ、なんだか同じことの繰り返しのような感覚になってきた。特にラマダン中のイスラムの国で冬の寒い街を歩いていると、「これなら日本で寝っ転がってテレビでも観てた方がいいな」と思うこともしばしばあった。

中には10回も20回も外国旅行をしていても同じように楽しめるという人もいる。でも、僕はそういうタイプではなかった。世界中を旅したいと子どもの頃は強く思っていたが、ある程度外国に滞在してみると、どの国もそれほど違いはないことがわかり、あまり刺激的ではなくなった。何回も、何年も旅を続けることができるというのも一つの才能なのだ。幸か不幸か僕にはその才能はなかった。

そして30歳を過ぎた頃から、もう僕はどこにも旅に出たいとは思わなくなった。その後40代になってお金や時間ができたとき、再びまたリュックを背負って外国に行ってみようかと模索してみたことがある。英語のガイドブックを買い、インターネットで現地の情報を調べた。でも、自分が飛行機に乗ってそこまでいって何日か滞在することをイメージすると、どうしても「メンドクサイ」という感覚が浮かんできてしまう。どうやら僕は本格的に燃え尽きてしまったようだ。そして、そのことに強い痛みを感じないのだ。

そして50代になった今、多少は自由になるお金があり、頑張れば一週間くらい仕事を離れることもできる。でも、どこにも行きたいところがない。思いつかない。仕事で出張だったら喜んで行くと思う。しかし自分で行き先を選んでコースを決めるとなると、どうしても萎えてしまう。

井上陽水の歌に「人生が二度あれば」という曲がある。二度目の人生は失敗せずにうまくやれるのに、という曲だ。二度目の人生は成功するかもしれない。でも、確実に面白くないだろう。恋愛の情熱も、仕事の達成感も、旅の感激もすべてが8割減だ。そんなものに価値はない。

行きたいところがなくなってしまった僕は、必然的にどこにも行かない。でも、人生には他に情熱を注ぐべき事柄はたくさんあるのだ。それでいいのだ。