雑文

思いついたことを

主婦パートの群れからはぐれた渡辺さんの話

昨日「おばさんたちも若い男が好きな件」を書いて思い出したこと。

僕は大学生の頃にダイレクトメールの発送のアルバイトをしていた。そこでは正社員の中高年の男女、パートの主婦、学生バイトの3つのタイプの人が働いていた。どこにでもあるような会社の誰でもできる簡単な仕事である。

主婦のパートの女性たちは大体が仲が良く、休み時間などは数人ずつが集まっておしゃべりをしていた。しかし、中にはそのいくつかの群れからはぐれるおばさんもいた。中にはそういう人もいる。

ある日、僕はいつもやっている仕事がなくなって、8畳間くらいの広さの会議室みたいなところで作業をやることになった。そこにもう一人パートのおばさんもいた。その人は例の群れには馴染めない孤独な女性だった。

二人で作業をやりながら僕たちは世間話をした。それでお互いのことを話しているうちに彼女が50才前後で独身だということがわかった。離婚したのではなく結婚をしたことがないと。

それで僕は「え、ホント? ホントに結婚してないの?」と大きな声を出して驚いてしまった。彼女は雰囲気はいかにも主婦っぽかったし、何よりも当時は40過ぎて独身の人はあまりいなかったと思う。

彼女の名前はすっかり忘れてしまったので、ここでは渡辺さんということにしよう。渡辺さんは姉と姉の娘(姪)と三人で住んでおり、姪がゴルフ会員権の販売(バブルを象徴する業種だ)の仲介か何かをやっていてけっこう儲かっているのだと言っていた。

話の端々から察するのに、現在そうであるように渡辺さんは若い頃から内気で人と接するのが苦手だった。また失礼ながら容姿的にはあまり恵まれた方ではなかったせいか、恋愛市場では人気がある方ではなく、お見合いにも抵抗があった。要するに結婚には積極的でなかったため、婚期を過ぎて50才前後の今に至るというところだったらしい。

同年代の同性たちとは馴染めない渡辺さんはだったが、親子ほど年が離れた異性の僕にはあっさりといろいろ話してくれた。

渡辺さんはよく「あの人たちは旦那がいるからいいじゃない」と何回もつぶやいた。彼女以外の主婦パートの人たちのことである。

「だったら渡辺さんだって結婚すればよかったじゃん」と僕が言うと、一瞬つまって「あたしはいいのよ。結婚はいいの」と少し語気を強めて言った。

「渡辺さん、若い頃に戻って何かやり直したいことはある?」と僕は訊いてみた。

恐らくは内気で何事にも消極的だったであろう渡辺さんに後悔があるのか訊いてみたかったのだ。あの時、もっと勇気を出してやってみれば良かったと思うようなことがあるのか気になった。

うーん・・・と少し緊張した面持ちしばらく考えたあと「特にない・・・かな」と渡辺さんは言った。

「若い頃に好きだった人はいなかったの?」と続けて僕は訊いた。

「そりゃね、そういう人もいたけどね。でも、そういうのはあたしうまくいかない方だからね・・」と少し笑って渡辺さんは言った。

渡辺さんにも大恋愛があったのかもしれないし、片思いで気持ちを告げることもなく終わったのかもしれない。それ以上は訊かなかったのでわからない。

当時、若い僕は人生経験が浅く、特に親子くらい離れた大人のことなどまったくわかっていなかったから、好奇心のままに質問をしてしまった。渡辺さんは僕のことをある意味でかわいがってくれて、ぶしつけな質問にも寛容に答えてくれた。

その後も、主婦パートの群れから離れた孤独な中年女性の渡辺さんのことは僕は好きで、ちょこちょこと話をした。今、健在ならば80才くらいだろうか。彼女は僕のことなど覚えていないと思うが、僕は渡辺さんを久しぶりに思い出して暖かい気持ちになっている。