雑文

思いついたことを

十五夜事件

83才の康夫は5年前に自動車の免許を返納した。その何年も前からときどき高齢者が人身事故を起こしているニュースを見て不安に思ったからだ。特に子どもでも轢き殺してしまったらたまらないじゃないか。

それから康夫は電動自転車(12万円もした)に乗ってあちこちで出掛けた。日々の買い物や役所での手続き、散髪や友人の家に出かけるときなど、腰が痛くて歩くのがしんどい康夫には欠かせない足になってくれた。

毎日、散歩のように自転車にのって散策をした。走るコースは大体、同じだった。街を走っていると、高齢者がグループになって散歩しているのによくすれ違った。なんでも地域の散歩会があるらしかった。

その中に康夫と同じ年のタケシがいるのに康夫はすぐに気づいた。タケシは小学生の頃、体が人一倍大きくて圧倒的なガキ大将だった。子どもの頃、康夫はタケシのことが他の子と同じように恐ろしく怯えていた。

あれは康夫とタケシが小学5年生のときの十五夜の日だった。まだ戦後間もない貧しい時代である。当時、村では十五夜の夜には縁側や玄関のあたりに団子をおそなえしていた。子どもたちは各家をまわってその団子を一つずつもらっても良いことになっていた。まだ食糧難が続く時代だったこともあり、子どもたちは団子を食べるのを毎年とても楽しみにしていた。

またお供えは団子だけでなく小銭もあった。小銭は置いていない家もあったが、かなりの家で小銭も置かれていた。

その年の十五夜の夜、ガキ大将のタケシは各家を一通りまわった後に子分の子どもたちは神社に集めた。そして団子には手をつけなかったが、小銭はタケシが巻き上げてしまった。本当は皆、タケシに渡したくはなかったが、そんなことは恐くて言えなかった。

でも中にはそのことを親にこぼす子もいた。団子だけならまだしも、現金を人から奪うのは子どもとはいえ悪質だということになった。タケシは親父から大きなげんこつをもらった。それだけなら良かったのだが、「来年もこういうことは起こるかもしれん」と親たちが話しあって、それ以降は小銭を置くのは取りやめになった。

それは子どもたちにとって大問題だった。ろくに小遣いなどなかった時代のことだったから十五夜での現金収入はとても貴重だったのだ。だから学校でもその話題でもちきりでみんな大ショックを受けていた。

そのことを今でも康夫は忘れていない。老人たちがグループで散歩している中にタケシの姿を認めると、あのときの絶望感と怒りが蘇ってくるような気がした。それ以前にもたまにタケシと会うと気さくに話しかけてこられたが、いつも適当に話を合わせるだけでまともに相手にしたことはない。あんな奴と一緒に散歩をするのはよそ者だけだ。

康夫はその十五夜事件を孫のユウトに話したことがある。康夫の怒りを初めユウトは冗談かと思った。幾つか祖父に質問をしてみたが、祖父の険しい表情からするとどうやら本気のようだった。小学生の頃の子どもらしい事件を老人になってまで怒りを抱き続ける人がいることにユウトには理解が追いつかなかった。

「そのタケシっていうおじいさんを僕も見てみたいな。どんな人なんだろ。よくここら辺を散歩してるなら会えるかな」とユウトが言うと、「あいつはこの頃、散歩してないよ。どっかの病院にいるか死んだんだろ」と苦々しく康夫は答えた。

困ったユウトは祖母を見た。祖母はただ小さくため息をついてお茶をすすった。