雑文

思いついたことを

追悼会に参加して思ったこと

この間、友人の追悼会に参加した。その友人が亡くなったのは2,3ヶ月前のことだし、当時、僕は足を捻挫していて歩くのがしんどかったが、この会に集まる人たちに会いたくて参加した。この機会を逃したら、参加者の中の何人かとは二度と会えないだろうから。

亡くなった人と初めてあったのはもう四半世紀以上も前のことだ。追悼会に来ている人の多くは僕にとって20年以上のつきあいの人ばかりである。皆、年を重ねて髪は白くなり、シワは増え、歯が亡くなったりして、それ相応に老けていた。

久しぶりの人とは近況を話した。幼児だった知人の娘さんがきれいな女子高生になっていることにびっくりした。なんとなく苦手な人とは目を合わせなかった。皆、久しぶりに会った友人たちの再会を喜ぶ雰囲気があった。

そのとき僕が感じのは、こういう追悼会に参加し、友人たちと旧交を温め合うことができることの喜びだった。

僕が18、19の頃、受験勉強で必死だった。何をやっていても勉強が頭から離れず、自分を哀れみ、ただ我慢する日々だった。

でも僕はこのまま田舎でくすぶって一生を終えるつもりはなかったから、故郷を離れるためには受験勉強を頑張るしかなかった。ここを出て都会に出たら、僕はきっとかわいい女の子と出会い、何らかの形で結ばれる、セックスもできるだろう。更には知的でエネルギッシュで面白い奴らが全国から来ているのだから、そういう人たちと交流をする。それが僕の未来であり、生きる意味ではないか。だから、まだ見ぬ友人よ、待っててくれと。19の僕はそう思ったのだ。

そして50代の今、追悼会に集まった面々の顔をみて、曲がりなりにもそれが達成されていることに気づいた。僕の人生はそんなに悪くない。