雑文

思いついたことを

父が亡くなった年齢になって思うこと

僕の父が亡くなったのは今から32年前。僕が大学3年生のときだった。当時の父は54歳。死因はがん。

父は亡くなる3ヶ月前に入院し、ちょうど3ヶ月後に亡くなった。僕は東京の大学に行っていたからときどき地方の実家に帰り、病院にお見舞いにいっていた。亡くなったときはちょうど夏休みだったから最後の一ヶ月は毎日のように病院に通っていた。

当時の父は手はシミだらけで髪は真っ白ですでに薄くなっていた。当時は今と違って病名を告知していなかったから癌だとは知らず、そのうち退院して看護婦さんたちにお礼をするんだなどと希望を語っていた。日々、良くなったり悪くなったりする体調に一喜一憂していたと思う。それが次第に弱まっていき、最後の方は「もうだめだ。お前たちには申し訳ない」と苦しそうにつぶやいていた。

父は中卒で学はなく、息子の目から見てもあまり頭のいい人ではなかった。自営業だったから暇さえあれば昼間でも競輪や麻雀に出かけていた。おかげで生活費が足りなくなり姉さんに泣きついていたこともあったらしい。会社員にはまったく不向きなタイプ。よく自分の兄に電話をかけていたのだが、ある日、30分くらい話している最中に「なんだ、そうだったのか? えー?」と大きな声を出したので、「なんだったの?」と僕が後から聞くと「間違い電話だった」と答えるような人だった(笑)。(相手方も相当な人だ。)

あれから32年たち、僕も当時の父と同じ年齢になった。当時の父は54歳で何を考えて日々を過ごしていたのだろう、今の僕とどのくらい違うのだろうかとここ数年よく考える。

よく考えるまでもなく大したことを考えていたわけでないのはわかっている。教養も深い洞察も何もない人だったのだ。恐らく僕が知りたいのは、本人に訊いてみたいのは、人生のつらい局面をどう乗り越えてきたのか、ということだと思う。

またもう一つ訊いてみたいのは、父も中年になってから若い女の子に惹かれたのか、ということ。それは異性愛の男だったら当然のことだとは思うが、問題はどの程度かということだろう。目の前を通り過ぎる姿に「いいなぁ~」と思うだけなのか、それとも割と本気で恋をすることもあったのだろうか。それで悩んだり自己嫌悪に陥ったりしたのだろうか。

それは考えてもわからないし、本当に有益な対処方法を探るとしたら著名なその手の本を読むべきだろう。でも、自分の父だったらどうしただろう、と息子としては考えてしまう。

来年の誕生日を迎えると僕は父が生きていた年よりも長生きをしていることになる。そうすると僕が記憶している父のすべての姿は僕よりも若い。そう思うととても不思議な気持ちになる。常に年上で僕を心配したり叱りつけていた父が僕よりも若いのだ。できたらもっと僕が年をとってから亡くなってくれたら、もっといろんなことを訊けたのになぁととても惜しい。

まぁ、そんなことを言っていられるのはつらい介護がなかったからだというのもわかっている。そして、やはり亡くなった親が今の自分と同じ年齢(あるいは上)ということに軽いショックを受けてしまう。この気持は僕の中で強いものではないし、消化のしようもないが、日々の生活の中でまぎれてしまうものではある。そして現在の僕は54歳。もういつ大きな病気で亡くなっても不思議はない年齢である。残りの人生をどう過ごせばいいのか、迷いの日々である。