雑文

思いついたことを

大学学費値上げ反対闘争・ストライキの思い出(1990年代)

僕が大学4年と6年生のとき、僕が所属する大学で学費値上げ反対闘争があった。1990年代初頭のことである。世の中的にはそういう種類の学生運動は60年代70年代で終わっていて、80年代にはその反動で白けた雰囲気が漂っていたから、当時も「今時そういうことやる?」という感覚はかなりあった。

学費値上げというのは、確か「定額スライド制」と呼ばれるもので、入学年度が遅れるほど一年ごとに数万円ずつ学費が値上げされることになっていた。(随分後から知ったが、これは僕が通っていた大学だけではなく全国的な傾向だったらしい。)

なぜ学費値上げが学生の間で問題になったかというと、素朴に「それじゃ経済的に裕福な家庭の子しかこれないじゃないか!」という素朴な怒りだった。キャンパス内には大学当局を批判する立てカン(立て看板)が乱立し、教室に入ると机の上にはかならず学費値上げ反対のビラが置かれ、入り口では誰かがトラメガでアジ演説をやっていた。

そういう派手な活動をやっていたのは、実は一般学生ではなく大半は新左翼セクト支配下にある学部の自治会の人々だった。彼らは明らかに30を過ぎているようなベテランもかなりいた。彼らとしては、これをきっかけに無垢で何も知らない学生をリクルートし、大学との関係を優位なものにしようとする意図があったのだろうと思う。

実は僕もその反対闘争にちょっとだけ関わった。70年代みたいに内ゲバ殺人が起こるような激しいものは耐えられないが、昔の学生運動の雰囲気を少し味わってみたいという好奇心があったのだ。

僕が通っていた学部の同じクラスの奴にノンセクトの奴がいて、そいつに誘われて学習会みたいのに参加したり、ビラ配りをやってみたりした。そのノンセクトの連中の雰囲気はかなりゆるかった。この手の学内での運動の主役はセクト(時々殺人が起こる)の自治会で、ノンセクトはほんのおまけみたいな感じだったから、おちゃらけてやっていた。

キャンパス内でその他学部のノンセクトの一人が「全ての**大生の皆さん!」と呼びかけていて、夕方6時から喫茶店で集まりがあるから是非来てください、と言っていたので行ってみた。僕はてっきり歓迎されるのかと思いきや、ほとんど話しかけられることもなく、彼らは仲間内だけで通じるような隠語や人間関係で盛り上がっていた。

セクトは組織の拡大の機会と盛り上がり、ノンセクトは政治的なサークルとして大いに楽しんでいた。僕たち一般学生もそれなりに盛り上がっていたが、それはあくまでお祭り的なものだった。要するに学費が値上がりして困る若者のことを真剣に心配する者など誰もいなかった。

1回めの学費闘争のとき、結局、試験がなくなりレポートの提出になった。そしてクライマックスは総長断交だった。大きな会場に主にセクトの皆さん、そしてわずかな一般学生が集まり、壇上には総長と学生たちが大声でやりあった。そして2、3時間経って大学側が議論を打ち切って会場の裏から総長が逃げて用意してあった車に乗って帰った。

残された僕たちは、キャンパス内でデモをやった。なんで無人のキャンパスでこんなことをやっているのかわからなかったけれど、欲求不満のはけ口として必要だったのだろう。そして最後に「**総長の蛮行を許さないぞー!」とかなんとかシュプレヒコールを上げたんだと思う。

総長断交の翌日、僕の同じクラスの友人が総長から卒業論文の口頭試験みたいなのを受けた。そうしたら総長は何事もなかったように普通の感じで話してくれて、意外といいヤツだったと言っていて笑ってしまった。

2回めは1回めの2年後。2回めも基本的には同じだった。各学部で反対集会が開かれ、学内は反対運動一色になった。その中で一番よく覚えているのが他学部で行われた「バリ封」だった。「バリ封」はバリケード封鎖の略で、教室から長い机を持ってきて階段に固定したもの。人が一人しか通れない程度の幅だけ作っていて、どうやら70年代からの伝統芸らしかった。

そして2回めのときも総長断交が開催された。今回も適当なところで総長は議論を打ち切って裏口から逃げるだろうと僕は予想したので、その裏口で待っていた。そうしたら本当にその通りになって総長は車に乗ってさっさと帰ってしまった。でも誰も総長の逃走を止めなかった。

僕みたいな何も詳しいことを知らない学内政治に無知な学生でさえ、総長の行動を読めたのにセクトノンセクトが読めないはずがない。逃走は予定通りだった。だから、つまりは総長断交とは単なる儀式だったんだと僕は思った。

大学は今どき珍しく学生運動が起こる本学は元気があってよろしいと喜び、セクトは党勢拡大に利用でき、ノンセクトは青春の思い出を作ることができた。みんな楽しい時間を過ごしたと言えなくもない。

1990年代の初頭から30年後の2021年の今、学費は実に2倍になっている。給料水準は特に上がっているわけでもないのに、この値上がり幅には驚くばかりである。これは恐らく国からの補助金が減っていることが大きな要因なのだろう。当時、僕たちがどれだけ大騒ぎしたところでどうにも変えようの時代の流れだった。

そしてあれから30年近くが経った今、当時のことを振り返るといまだにモヤモヤしたものが心の中に残っている。当時も僕らにはどうしようもないことだし、大騒ぎしている連中もろくでもないやつばかりなのは分かっていた。だから僕も決して真剣というわけではなかった。でも、なんとなく素通りはできなかった。単なる好奇心だけでなく、大学や産官学の巨大な組織に何か一言物申したかった。だから僕は、少しだけ闘争に参加してみた。