雑文

思いついたことを

知人(59才)がガンで亡くなった話

先日、知人M氏(多分59才くらい)が亡くなった。肺がんだった。2月に体調が悪いということで街の小さな病院にいったところ、すぐに大きな病院で精密検査ということになり、即日「肺がんのステージ4」、もう手術も投薬もできない、要するにもう手の施しようがないと告知されたらしい。

本人は、意味としては理解はできるけれどとてもガンが現実のこととは思えず、しばらくぼーっとしていたらしい。それでも友人たちに状況を伝えると、友人たちは何かしら打つ手があるのではないかとネットで調べたりしたのだが、もしかしたら別の病院で化学療法などができるかもしれないけれども、それも体に負担が大きい、それよりも残された日々を大事にした方が良かろうということでM氏はこれまでと同じ生活を続けた。

M氏は二十歳前後でタバコを吸い始め、恐らく一日一箱から二箱を吸う生活を40年近く続けていた。タバコを挟む指先が黄色く変色するくらいのヘビースモーカーだった。要するにガンになるのも自業自得だった。それは本人もよくわかっていた。

次第に体がふらつくようになってきて、もうこれ以上は一人暮らしは無理だとういうことでM氏は東京から両親が住む実家に帰ることにした。還暦前のM氏の親ということで90近いということだったが、兄弟二人が近所に住んでいるということだった。

これで40年住んだ東京や東京に暮らす友人たちともお別れということで、2月に馴染みの飲み屋でお別れ会みたいなことをやった。

飲み屋でのM氏は明るくてよく笑った。死ぬのは怖くないが、ガンによる苦痛は恐ろしいと言っていた。会には20人近くが集まった。みんなで笑って写真を撮った。集まった人たちも泣いたりつらそうな表情をすることもなく、「Mさん、じゃあね!」と明るく挨拶して別れた。

僕は実家に帰ったM氏に「2月末に東京を離れて3ヶ月。そちらの暮らしはいかがでしょうか? 」とメールを送ったら「メール有難うございます。外に出て一人で映画でも見に行きたいところなのですが、短独行動は禁止です。まあ厄介な病気に引っ掛かたものです」と返信がきた。

お別れ会では余命は一年くらいと医者から言われたと聞いていたので、もっと先かと思っていたのだが、それよりもだいぶ早くM氏は逝った。

僕はこれまで20人くらいの友人知人を亡くしているので、今回も割と淡々と受け入れている。正直なところ、M氏と僕は特に親しい関係ではなかったという理由が大きいが。

まだ若い20代の頃、自分の親やもっと年上の作家や著名人たちが亡くなった友人の葬式のことなどを書いてたのをときどき読んだ。当時、僕にとって死はまだあまり身近なものではなかったから、作家たちの嘆きやつらさを他人事として「ずっと先に来るイベント」として考えていた。

そして50代になった今、周りの友人知人が着実に脳卒中で倒れたり、ガンや事故、自殺でこの世を去っていっている。僕もいつの間にかそういう年代になったのだ。もう若くなることはないのだから、あとは自分を含めて老いて死んでいくばかりである。もう大きな野心や気力体力もなく、残されたのは若い女を目で追ってしまうスケベ心のみ。

残された人生を大切にしなくては・・と思いつつも、じゃあこれからどうやって生きていけばいいのかよくわからない。還暦近くなっても迷いばかりである。