雑文

思いついたことを

偉大な人1 ナベちゃん

今から2年半くらい前の夏の夜、ナベちゃんは仲間たちと楽しく酒を飲んで音楽に合わせて踊っていた。場所は河川敷。皆で自家発電で電気を作ってDJもした。

宴もたけなわの頃、缶チューハイをたらふく飲んだナベちゃんは河原の草の上に突っ伏して倒れた。本人は猛烈な頭の痛みに苦しみ、周囲に緊急事態であることを知らせたかったのだが、とにかく頭が殴られたように痛んだし、とても声を出せる状況ではなかった。倒れてから2時間くらい経って、ようやくナベちゃんがおかしいことに誰かが気づいて救急車が呼ばれた。

診断は脳卒中の一種で、脳の中の血管が破けてしまったらしい。救急車で運ばれた病院に3ヶ月入院して、それから実家の近くの総合病院に半年入院した。問題は後遺症が残るかどうかだったが、結局、半身に麻痺が残った。立てるけれど、麻痺した側の足がどうしても前に出ない。片手は常にギュっと何かを握りしめているような形になっている。これ以上、大きな改善は望めない。

ナベちゃんは50代。仕事は介護系の仕事をしていた。酒と煙草が大好き。仕事で体の自由が効かない人をサポートしていたのが、今度は自分がサポートされる側になってしまった。

今は自宅で暮らしている。80代の母親と二人暮らし。兄弟がいろいろと助けてくれている。週に数回、リハビリに通っている。着替えも自分一人ではできない。多分、トイレまで歩いて行くことはできてもパンツの上げ下げは難しい。今は母親が健在だからなんとか自宅でやっていけるが、それもいつまで可能なのか。他人事ながらナベちゃんの先行きを考えると僕のこころにも暗雲が垂れこめてしまう。

でも、ナベちゃんは明るい。SNSには特に前向きなことが書かれているわけではないが、かといって泣き言は一言も書かれていない。お見舞いにきた人には「まぁ、これもしょうがないよ」とあっさりと運命を受け入れる発言をしている。病室で撮られた写真はちょっと照れた笑顔である。

もしこれが僕だったらどうしているだろうか? とナベちゃんと同じ年の僕はどうしても考えてしまう。間違いなく普通に外を歩ける友人たちが羨ましくてたまらず、どうしてこんなことになっちゃったんだよ、と毎日泣いているだろう。そしてそのやるせない気持ちをSNSで発散しまくって周囲を困惑させているだろう。だってこれまで普通に歩いてどこにでも好きな所に行っていたのに、50m先のコンビニにも自分の力では行けなくなったのだ。そしてこの状況が死ぬまで続くのだ。それも当たり前ではないか。

正直を言えば、僕はこれまでナベちゃんが苦手だった。もっと言えばちょっと嫌いだった。つまらないヤツだと思っていた。

しかし、ナベちゃんが困難な状況に陥って、彼がどれほど器の大きな人物であるかわかった。元々彼とは距離があるので、この気持を伝えることはでないけれども、僕はナベちゃんのめげない姿に、苦しい状況でも人に明るく接することもできることに小さな可能性を感じている。