雑文

思いついたことを

貯めるべきか、使うべきか? 50代の決断

最近、20代の人がツイッターで、東南アジアで月9万稼いで、3万円で暮らしている、というようなことを書いていました。

かつては僕もカツカツに切り詰めた生活をしていて、一日の食費が1000円を超えるようなことは滅多にありませんでした。アパートの家賃は2万円でした。

僕は学生を25才までやって、その後29才まで年に4,5ヶ月くらいだけバイトをやって、30代も似たような感じだったので、とにかくお金がなかったのです。

しかし、50才を過ぎた今、自分で多少稼いだり、親から諸々のお金をもらったりして、多少の余裕ができてきました。いつの間にか、かつては考えられなかった数字が銀行口座にありました。

それで・・・ある日、ふと思うのです。

「このままずっと貯め続けていくべきなんだろうか?」と。

僕はこれまでまともに年金を払っていないし、今後、何年生きるかわからない以上、少しでも貯蓄に励むのが一般的な考えでしょう。年をとって病気がちになり、働けなくなったらどうするの?と。

40代の後半になった頃から、同年代の友人知人が少しずつ癌とか脳卒中なんかの病気になりはじめました。膵臓がん、大腸がん、胆管がん、肺がん、脳出血など。癌の友人知人は全員が亡くなっています。またいわゆるメンタルの病気や火事でも亡くなっています。

彼らがどんな生活を送っていたかというと、極端に食習慣が悪かったとか、酒タバコがすごかったというわけでもないのです。ほとんど持って生まれた体質が原因としか思えない。要するに彼らが亡くなり、僕が行きているのは運なのです。

やっぱり若い頃から知っている人たちが毎年のようにこの世を去っていくのを見ていると、そりゃ「次は俺か?」と思わざるをえません。「人は本当に死ぬ」という当たり前のことをようやく実感します。

そこで思うのです。

「一生懸命、お金を貯めたところで、老後になる前にあっさり死ぬかもしれない。それに癌が発覚した後に美味いものを食べたり何かを楽しむ余裕はあるのか?」と。

人はいつ死ぬかわからない。

そのいつかわからない死に備えて貯めるか、まだ元気なうち使わなきゃ意味ない、とある程度、散財するかは各人の哲学による。もっと言えば博打です。貯める人は「長生きする」に賭け、使ってしまう人は「早めに死ぬ」に賭けるということです。

幸か不幸か、僕には子どもなどの扶養家族はいません。更に独身。要するに自分のことだけを考えて老後の設計ができるのです。

それならば、これまでのようにキチキチに切り詰めた生活は馬鹿らしい。生きていられるうちに、いろいろなことを味わうためにお金を使うことに決めました。もう貯金はあまり考えません。

・・・とここまで読んできて、呆れる人もいるでしょう。年金はどうするの?体が動かなくなるまで生きてしまったらどうするのと。

それに対する回答も考えています。それも含めて貯めるのはあまり合理的だとは思えないという根拠を、近いうちに書いてみます。