雑文

思いついたことを

おしえてあげたい

「ち。」という漫画がある。その漫画は今、アニメ化されており、毎週、吾輩はNetflixでとても楽しく視聴している。

物語中、人々は天動説の矛盾の気づき、地動説に辿り着こうとしている。
しかしパラダイムシフトの転換を恐れる社会はそれを許そうとしない。ある者は拷問によって研究を悔い改め、ある者は火あぶりにあう。

それでも研究者たちは命をかけて真理を探求することをやめない。

21世紀に物語を見ている僕は彼らに地動説どころかビッグバンから多元宇宙論まで、今の知識を全ておしえてあげたい。ほら、本当の宇宙はこんな風になっているんだよ、数千億の銀河の中に数千億個の星がそれぞれこの宇宙にはあって、更に宇宙は一つじゃなくて何十兆個もあるいはもっと無数にあるみたいなんだよと優しく伝えてあげたい。

中世の人々はまるで地を這うアリのようではないか。

でも・・・とも思う。

数千億年後の宇宙はどうなっているか?

すべての星や物質は粉々に砕け散り、光すらない暗黒の空間が永遠に広がり続ける虚無の世界になる。地獄の方がマシな完全な虚無の世界になることを科学の力によって我々は知ってしまった。

そんな未来はつらすぎる。たとえそれが永遠のような先の未来のことだとしても、一片の救いもない虚無の未来なんて耐えられない。
人々が迫害に耐え、命をかけて何千年もかけてたどり着いた発見がこれだったのか。
真理はただそこにあり、人間を喜ばせるために宇宙の法則があるわけじゃない。

ただただ、人間は絶望するばかりである。

あの子に会いたい

あの子に会いたい、もう一度会いたい。

もう一度会って、あの愛くるしい笑顔を見たい。何時間も電話で話し込みたい。二人でどっかに出かけて、アパートにしけこんで布団に潜り込んであんなことこんなことを午前2時までやりたい。

でも、でも、でも、それはもうはるか昔の出来事。

そう、そう、そう、僕は若かったあの頃の思い出をスルメをしゃぶるように、延々と反芻している。

交差点で信号待ちをしながら、トイレの便座に座りながら、自転車を漕ぎながら。

まさか、まさか、まさか、僕が若くてツヤツヤしてた頃の甘い思い出に浸っているなんて。

こんなはずじゃなかった。でもね、無意識だからね、フラッシュバックだからね、これはやめられないんだよ。

もう僕はいい歳を中年のおじさんだから、そりゃ無駄な思い出もたっぷりあるんだけどね、あの日々は真冬に暖炉に薪をくべるみたいにこころを暖めてくれるんだよ。

実は、苦い記憶が削除され巧妙に編集されてることにも薄々気づいてるんだけどね。

でも、そんなことは大したことじゃない。

大事なのは、あの頃はこころが震えっぱなしだったってこと。

それ、それ、それ、大事なのはそれ。

命が燃える瞬間があったってこと。そういうこと!

死の破壊力はハンパない

この間、30年くらいのあつきあいのある友人Qに久しぶりに会った。1年ぶりくらいなんだけど、そのときは共通の友人Zの葬式のときだった。それで今回、軽く世間話をしていときにZの話になって「俺たちの友人知人で亡くなった人は30-40人くらいになるよ」と彼は言っていた。かつて我々は同じ飲み屋に通っていたので、共通の知人が多いのだ。

平均寿命が80代になったというのが信じられないほど、僕の友人知人たちは40,50代でたくさん亡くなっている。この8年くらいでは10人くらい? ガンが一番多くて、自殺や火事、コロナでも亡くなっている。

去年、ガンで亡くなったZはその3年前にガンと診断された。手術を受けなければ半年で死ぬと複数の病院から宣告されたが、当該以外の周りの臓器までもごっそり切除されてしまうのと体調は悪くないというのと、何よりも恐ろしいということで手術を受けなかった。周囲は皆、手術を強く勧めたが本人はがんとして拒否し続けた。

しかしZは意外にもその後、元気になり一時はかなり体調が良くなった。ガンと診断されてから一年経ってもピンピンしてるので僕などはそもそもガンというのは誤診だったのだと思った。それからZは旅行に行ったり、飲み屋に通ったり、バンド活動をしたり、精力的に活動を続けた。しかし、次第に物が食べられなくなり、体力が続かなくなってきた。亡くなる2週間前までステージで歌を唄っていたが、最後は寝ている時間が長くなり、寝ている間に亡くなった。

僕とZは必ずしも仲が良かったというわけではないのだが、30年以上のつきあいがあった。いわば青春を一緒に過ごした仲間だった。彼が亡くなった後の数ヶ月は心にぽっかり穴が空いたようだった。

Qも僕もZを亡くした喪失感をまだ抱えている。Z以外の亡くなった友人たちのこともはっきり覚えているし、もうこの世にいないという事実があまり現実のものに感じられない。一体、彼らはどこに行ってしまったのだろうと。

同年代の人たちが続けて亡くなると、次は自分の番かもしれないと誰しも思うようで、中にはどうやって葬式をやってもらうか真剣に考えて家族に伝えている奴もいる。

人は(あらゆる生物は)死んだらどうなるのだろう。魂は残るのだろうか。それとも電気がパチっと消えたように全てが雲散霧消するのだろうか。仮に霊的な物がこの世に残るしても、それでは数十億年後に地球が太陽に飲み込まれてなくなってしまった後、その霊的なものはどうなるのだろう? 更にその数百億年後にあらゆる星が消えてしまう自体になった後はどうなるのだろう? もしかしてこの宇宙が消滅してしまうとしたら? そして、そもそもなんで生命は生まれたのだろう? 

いつもは死のことは恐ろしくて正視できないのだが、よく知っている奴が亡くなった後はどうしてもいろいろなことを考えてしまう。彼らがいなくなったのだから、いずれ自分もこの世を去るのは当然だろうと思える。

しかし、信仰心やスピリチュアルな考えのない僕には死後のことはまったくわからない。

現在、僕は50代。余命はあとせいぜい30年くらいだろう。僕は日頃、健康の良いとされる食べ物を積極的に食べ、運動もしてなるべく元気でいたいと思っている。多少の努力をしているのだから、多少は長生きできるのではないかと期待している。そして僕はこれまで病気らしい病気をしたことがない。

しかし、いくら健康志向でいても遺伝的に一定の年齢になったら病気になるようになっていたら、どうしようもないだろう。我々できるのはせいぜい、数年の先延ばしができる程度だろう。

友人たちの死の衝撃を受けて、生きていることのありがたみをこれまで以上に感じるようになった。朝、起きて陽の光を浴び、ご飯が食べられること、それが一日一日と続くことを噛みしめるようになった。

また、これまでちょっとしたことで苛つくことが多かったのが、「近いうちに死ぬかもしれないのに、こんなつまらないことで怒ってる場合か?」と自問するようになった。

死んだら霊界はあるのかもしれないが、少なくともそれまでのようにこの世にはいられない。そう思うと身がひきしまらざるを得ない。死の破壊力はハンパないのだ。

老人施設に入居中の母を訪問

去年の夏から母はグループホームに入居している。認知症になっていることがわかってから4年くらいだろうか。徐々に母の病気は悪化していって、ついには同居している妹の手に負えなくなってきたので、グループホームに入ってもらうことになった。

「もうお母さんの面倒を見れなくなったんだね? 施設に入るのが一番いいんだね」と母に言われたが、僕には返す言葉がなかった。本当だったら自宅にいて孫の顔が見られる生活を送って欲しい。しかし実家を離れた僕が母の世話をできるわけではないので、この件については妹の判断を尊重するしかなかった。

これまで母の面会には4回くらい行っただろうか。今年の3月まではグループホーム側も家族の訪問には消極的で面会といっても建物の玄関で15分くらいという制限があった。それが今年の3月に政府の判断でコロナ対策が大幅に緩和されたため、最近は母の部屋にまで入れるようになった。

現在の母は今が何年何月何日なのかわからない。自分がどこにいるのかもわからない。しかし感情面はしっかりしていて誰がどうしたとかいう世間話やあのときは大変だったという思い出話はできる。

前回の訪問時、女性職員3人(60代くらい)の横を通ったときに母が「いつもお母さんが世話になっている人たちだよ」と言うので、「お世話になります。(母は)わがままなこと言いませんか?」と訊くと、「まぁ、みんなわがままだから(笑)」と答え、母も一緒に笑っていた。

今回も近くのコンビニで買ったシュークリームを土産に母の部屋に90分くらい滞在した。毎週、電話をして様子を伺っているので今更特に話すことはないのだが、母としてはリアルに子どもの顔を見れるのは何よりも嬉しいことのようだ。

「お母さんはいつまでここにいるのかねぇ」と今回も母は言った。もう死ぬまでここから出られない、少なくとももう自宅には戻れないとはとても言えなかった。

グループホームの見舞いには僕しか行かない。妹も孫たちも一度も行っていない。会っても話すことがないそうだ。介護でつらい思いをした妹は母の写真すら見たがらない。孫たちはばあちゃんに関心がない。

正直なところ、特に孫たちに苛つくことはある。こいつら白状な奴らだなと。しかし面会を強要することもできない。

「元気? 体の調子はどう?」と僕が質問すると「元気だよー。ただ生きてるだけだよ。もういつ死んでもいいよ」といつもと同じように母は答える。母は寂しくて家族にかまって欲しいのだ。

息子として僕もそういう言葉を聞くのはつらいが、僕も50代になり多数の友人知人を亡くしてきたので、そういう寂しさは人生ではある程度は避けられないものと思う。認知症になるまでは健康に暮らし、70歳過ぎまで自営業をやってこれた母は幸運な人生だったと思う。晩年は家族との関係がうまくいかず、寂しい思いをさせてしまったが、それもやむを得ないのかもしれない。

「次はいつ来る?」と帰り際に母は僕に聞いた。「来月にまた来るよ」と答えると彼女は嬉しそうに笑った。12月といっても母にはわからないが、来月という言葉は理解できるのだ。

フィナステリドの代替品としてのエビオス錠(AGA治療・ハゲ)

僕は何年か前から髪が薄くなり、その頃、ちょうど胃もたれをしたのでどんな薬が良いかネットで調べた。そしたらエビオス錠が良いと某巨大掲示板で勧められていたのを見た。しかもエビオス錠には髪が生える効果も期待できるらしい。

半信半疑で飲み続けていたら2ヶ月くらいで髪が生えてきて、地肌が見えていたのをカバーできるようになった。

しかし、それで元に戻るまでには至らなかった。自分で鏡を見るとそこそこ治っているように見えたのだが、ある程度距離をとって写真を撮って見てみると、明らかにハゲていた。

塗りミノは続けていたが、実感できるほどの効果はなかった。それで慌てて禁断のミノタブを購入。5mgを4分割して1.25mgを飲んでいる。このくらいなら体への負担はとても少ない。2,3ヶ月でこれまでだいぶ髪が生えてきた。これで前髪を上げなければハゲとはわからないと思う。

それでハゲ問題は自分にとって切実な問題なので、日々、You Tubeなどで情報収集をしている。熱心に情報を発信しているのは30,40代が多い。彼らはほぼ全員、薄毛を進行させる男性ホルモンを止めるフィナステリドまたはデュタステリドを飲んでいる。

そこで問題は副作用である。フィナステリドの副作用として肝臓への負担、勃起不全、性欲低下などがある。確かに髪は生えてくるが、これを一生飲み続けると思うと絶望して治療をやめる人もいると言うが、それも無理もない話であろう。

性欲低下や勃起不全の症状が出るのは数%と聞くが、ネットなどで僕が情報を収集した感じでは2,3割はいる印象がある。特に40代以上ではその傾向が強い。実際、僕も一ヶ月程度フィナステリドを飲んだときは勃起不全になった。ちんこに力が入らなくなる不思議な感じだった。

幸いなことに僕はエビオス錠を飲むことで一応、ハゲの進行が止まって更に髪が増えた実績がある。なので特にフィナステリドは必要としていないので、それ以降は飲んでいない。

僕が幸運だったのは最初に何のAGAの知識もないままエビオス錠を飲み始めて、それがたまたま立派にハゲ治療になったことである。フィナステリドを飲まずに済んでいる。エビオス錠がフィナステリドの代替品になっている。
あるユーチューバーによると、フィナステリドやデュタステリドを飲み続けると、飲むのを止めてからも勃起不全や性欲低下が続くこともあるらしい。カナダではその訴訟が起きているようだ。

こういう話を聞くと、やはり薬は恐ろしいなと思う。また別のユーチューバーはAGA治療に有効なのはフィナステリドとミノキシジルだけであり、サプリや体質や生活習慣の改善などは何の意味もないとバッサリ切り捨てている。

しかしどんな病気の遺伝的な形質を持っていても、その発現時期や進行は遺伝だけでなく後天的な生活習慣も影響を与えるはずである。

タバコを止め、十分な睡眠を取り、頭皮マッサージをすれば多少なりとも良い影響があると僕は信じている。

帰省できなくなった話

先日、郵便局にゆうパックを出しにいった。そこの窓口で職員の人から梅干しのサンプルをいただいた。どうやら最近は郵便局でもいろいろな食物を販売しているらしい。

そういえば僕はこの何年も梅干しを食べていないのを思い出した。甘いものが多いスーパーの梅干しは食べれたものではないので、僕にとって梅干しとは帰省した折に母親が分けてくれるなのだが、ここしばらくは母親が漬けていないのだ。

そういえば毎年、正月に帰省した折にもらっていた餅もここ数年食べていない。母親が認知症になってもう作れなくなってしまった。

母が認知症とわかって3年弱。数ヶ月前から母はグループホームに入っている。当初は実家を出て施設に入れてしまうことに罪悪感を感じていた。しかし、ときおり電話で話す感じでは職員の人が母に気をつかって声を掛けてくれているようで、おもったよりも母の声はいつも明るい。それほど居心地は悪いようではなく、むしろ同居していた弟と会話がほぼなかったことを考えると、グループホームにいる今の方が会話が多いと思う。

今後、母は施設から出ることはなく、このまま施設で亡くなることになるだろう。そうすると、都会に住んでいる僕はもう「帰省」をすることができない。母が実家から施設にいくとき、数キロ離れた家に住む兄が「もうこの家にくることないかもしれない」と言ったのだが、それは僕も同じだった。

僕が19才まで住んでいた実家は今も存在する。(建て直しはした。)でも、そこに迎えてくれる母がいなければ僕は帰省することはできない。実家に住む妹家族と特に折り合いが悪いというわけでないものの特に歓迎はされないであろうから、そこはもう僕が帰るところではない気がする。

母は認知症ながら世間話は特に問題なくできるので、僕は施設に会いにいくだろう。しかし、それもあと何年かのことである。母が亡くなれば、僕は田舎に帰る理由がほとんど無くなる。帰省するたびに家の近所の道を散歩するのが大好きだった僕はどうするのだろう。自分でもわからない。

母が元気なうちから、こういう日が来るのはわかっていた。すべてのことには終わりがあるのだ。

いずれ僕も死ぬことになる。ここ何年か同年代の友人知人が続けて亡くなっているので、そのことを考えざるをえない。そのとき子どもがいない僕の持ち物は大半がゴミになる。僕が長年保存している日記や写真は残念ながら残された人々には意味を持たない。よほどの有名人でもなければ誰だっておなじことだ。

でも、それでいい。僕が生きている間だけ、僕にとって意味のあるものが存在してくれたらそれで問題はない。それでいいのだ!

【恋愛】人生において愛し、愛されることについて

最近、鴻上尚史の人生相談コーナーをネットでみつけた。その中で「容姿が悪く、交際経験が一度もない」47歳女性に鴻上尚史が本音で応える」という一本があった。
簡単に内容を紹介すると、47才女性は容姿にあまり恵まれず、これまで何回もいわゆる告白をしてきたが、交際することはなかった。人生で一度でいいから、男性と愛し愛されてみたい。でも、これ以上は無駄かもしれない。どうしたらいいだろうか、というもの。

僕は彼女の気持ちがものすごくよく分かる。とても馬鹿にするようなことはできない。僕も若い頃、好きな女の子がたくさんいて、誰かと付き合いたいと強く願った。でも、内気で自分に自信がない僕はあまり告白などできなかった。時代は恋愛至上主義のバブルで交際経験がない者はみじめでからかわれる存在だった。

大学生活も終わりの頃、僕は何歳か下の女の子と出会った。場所は大学キャンパスだったので確かサークル関係のつながりだったような気がする。それで僕は「何かイベントがあったら連絡しますよ」ということで彼女の電話番号を訊いた。

それから一週間くらいして僕は彼女のところに電話すると、彼女は僕の連絡にすごく喜んでくれて話がはずんで3時間くらい話した。それから一ヶ月くらいは毎日のように電話をした。キャンパスで待ち合わせてデートもした。

結局は数ヶ月で関係は終わったのだが、その間、お互いのアパートを行き来して泊まった。念願だったセックスもして童貞を卒業した。

あれから30年近く経った。今でもときどき彼女のことを思い出す。

好きになった女の子から生まれて初めて受け入れてもらった感激。ただ一緒にいることで、僕が電話することで彼女が喜んでくれる幸福感。他人からしたら気持ち悪いだろうから事例を出すのは一つだけにするが、僕が彼女のアパートに泊まって、朝、僕だけが出かけるとき、僕はチュっと軽く彼女の唇にキスをした。そのとき彼女が「キャっ」と言って顔を赤くしたのだ。僕は幸福感とともに、自分のようなブサイクでダサい男とキスしただけで喜んで?もらえることに強い戸惑いも感じた。俺ってそんなイイ男なの?と。

あれから長い年月が経ち、何人かの女性とも交際したが、僕は今でもあの彼女との思い出をスルメを噛むように反芻してしまう。無意識のうちに思い出を美化している部分もあるだろう。でも、彼女との思い出は僕にとって最も大事なものである。

人を愛し、相手からも愛される経験は人生に意味と自信を与えてくれる。もしも、僕が彼女と出会わず、その後も誰からも愛されなかったとしたら、どれだけ生きることがつらく虚しいものだったろう。

もしも僕が相談者の47才女性に回答するとしたら、諦めずに素敵な男性を見つけてください、と言いたい。